失敗を責めるということ

朝から晴れ渡って、絶好のドライブ日和。

かねてから行きたかったイベントが、お隣富山県で開催されるので、夫と連れだって出かけた。

イベントの詳細をよく知らないのに、とにかく行きたい衝動に駆られた。

そんな私のあやふやな説明にも関わらず、運転手を買って出てくれた夫は、かなりお人好しだと言わざるを得ない。

ところがだ!

イベント会場に着くと、がらんとして誰もいない。

急いで検索してみると、なんと、なんと、開催は来週の日曜日だったのだ。

1週間、間違えた!

穴があったら入りたいとは、まさにこのこと。

日程の勘違い、こんな単純なミスをするなんて。

だが夫は慌てず騒がず、「そうか、今日はやってないのか。じゃ、西洋絵画展でも見に行こう」と言う。

この人のこういうところに、ほんと救われる。

私は子どもの頃、ミスや失敗をすると激しく叱られた。

そのせいか、絶対の勝率がなければ、なにもチャレンジしない女になった。

今でもおかしなミスを犯すと、きゅっと縮みあがってしまう、叱る人などもういないというのに。

 

15年くらい前、ボヤを出しかけたことがある。

もうすぐ娘が帰ってくる、1日頑張ってお腹も空いているだろうから、おやつにトウモロコシを茹でておこう。

鍋に水を張って火にかけた。

ちょうどその時、当の娘からお迎え要請のコール。

そのまま家を出た。

鍋!…と気がついたのは、自宅から15分の塾に着いた時。

大急ぎで娘をピックアップすると、ビュンビュン車を飛ばした。

ヤバい、ヤバい、ヤバい!

火事になったらどうしよう。

普段、火の始末には人一倍神経を使ってきのに、今日に限ってなぜ?

だけど普段は関係ない、この1回が取り返しのつかないミスなのだ。

早く帰らなきゃという焦りと、事故を起こしてはいけないというギリギリの冷静さ、二つの気持ちに引き裂かれ、心臓は早鐘のように打っていた。

自宅に着き玄関ドアを開けると、家の中には煙が立ちこめていた。

そして、そこに夫の姿があった。

一足先に帰宅した夫が、煙に驚いて鍋の火を消したので、幸い大事には至らなかった。

焦げ付いた鍋、炭化したトウモロコシ、興奮して吠えまくる愛犬。

だがその時、私が一番に思ったのは、”火事にならなくてよかった”…ではない。

 

怒られる!…だった

 

おかしいよね、これ?

だけど身に染みついた条件反射が、私の思考を狂わせた。

これが醤油差しを倒しただけで、ガミガミ叱られたり、叩かれたりした子どものなれの果てだ。

そんな些細な失敗のため、一晩外に出されたこともあったな…。

 

子どもに躾は必要だ。

だが冷静な躾と感情的に怒ることは、似て非なるもの。

わざとやったのではない失敗を、執拗に責めてはいけない。

アンガーコントロールができない大人が、立場的に弱い子どもをサンドバッグ代わりにしてはいけない。

原因を究明し、次は気をつけようね…くらいでいいのだ。

失敗した本人が一番「しまった…💦」と思っているのだから、わざわざ塩を塗り込む必要はない。

 

煙の臭いが残るキッチンで、夫は私を怒らなかった。

なんでこんなことになったのか…と私の説明を聞き、家を出る時はガス台をダブルチェックすることを約束させた。

「危なかったな。気をつけろよ。」

それで終わったのだ。

どんな激しい叱責よりも、これは効いた。

私は絶対に絶対に絶対にボヤを出さないと心に誓い、外出の際の火の元チェックは、家族がうんざりするほど慎重になった。

 

今でもなにかミスを犯すと凹む。

だけど人は失敗をする生き物で、どんなに気をつけても誰でもミスはする…ともう知っている。

その認識があれば、自分のミスを、あ~~またやっちまったと苦笑い程度で受け入れることができるし、なにより他人の失敗に寛容になれる。(←これ大事!)

誰かが失敗した時も、相手を責めることではなく、どうフォローできるかに注力できるようになるのだ。

そっちの方がよくない?

そして一緒に暮らしたり働いたりする相手も、そんな人の方がよくない?

富山県立美術館

代替案の西洋絵画展は、素晴らしい展示内容で、失敗から始まった休日は、結果的に大満足な一日となった。

その素晴らしき西洋絵画展の紹介は次記事で。💕

富山県立美術館・西洋絵画400年の旅

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
詳しいプロフィールはこちら。