モノを手放す基準は、『今の自分が使うか・使わないか』だということが分かりました。
”使えるか・使えないか”ではなく、”使うか・使わないか”。
そして誰かが使うかも…ではなく、自分が使うか・使わないか。
さらには、”過去に便利だった”や”将来また使うかも”でもなく、『今』使うか・使わないか。
では、この基準でモノを捨てる時、一体何から手をつければいいのでしょうか。
簡単なモノから始めましょう
住まいの状況は人それぞれなので、一概には言えませんが、まずは簡単なモノから始めましょう。
簡単なモノとは、捨てる時に感じる痛みが少ないモノのことです。
片づけをする時、多すぎるモノを減らさなければならないのですが、難しいモノから始めようとするチャレンジャーさんがいます。
おそらくいつも頭の片隅にあるのでしょう。
アレは要らない…、邪魔だ…と。
だからぱっと思い浮かぶのです、嫁入りの時に親が揃えてくれた高価なお着物が。
子どもの健やかな成長を願って、初節句に親が買ってくれた巨大な武者人形が。
愛する我が子が、覚え立てのたどたどしい字で書いてくれた母の日のお手紙が。
写真が、日記が、作品が…。
ですがこういった思い入れの深いモノを捨てるには、それなりの技術と訓練が必要です。
エベレストに上ってみたいな…と思った時、最初からネパールに行くのは無謀すぎます。
まずはウォーキングや筋トレで体を作り、ハイキングから始めて山歩きを経験し、登山の基本を専門家から学び、道具を揃え、穂高や立山に登ってみて、高地トレーニングもして、資金を調達し、満を持してパーティを組み、エベレストに挑戦します。
ピアノが弾けるようになりたいなと、いきなりリストのラ・カンパネラの楽譜を買ってくるのは、ちょっと…。(漁師のおじさんはたいしたものです!)
ピアノに始めて触るのであれば、ドレミから。
楽譜の読み方や運指を学び、ハノンなどで指の筋力をつけ、最初は片手ずつ、慣れてきたら両手で、スピードは超スローからスタート、難易度も少しずつ少しずつ上げていきます。
それでもラ・カンパネラに到達するには、とてつもない時間と努力が必要です。
一歩ずつ、一曲ずつ、テクニックや表現力を積み上げていきます。
バラの庭を造りたいのであれば、まずは一鉢から。
いきなり広大な庭園を手がけるのではなく、鉢で育ててみます。
バラの特性を知り、育て方やケアを知り、土を作り、庭全体のデザインを考え、ツルを這わせるトレリスやオベリスクを準備し、日当たりその他の条件にあったバラをチョイスし、少しずつ充実させていきます。
それと同じで、片づけも簡単なモノから入り、徐々にレベルを上げていきましょう。
心理的負担がある
『捨てる』とは辛い作業です。
特にまだ使えるモノを捨てる時、私たちは心の痛みを覚え、本当に捨ててもいいかと躊躇します。
それは、幼い頃から、モノは大切に…という徹底した教育を受けてきたから。
しかし、戦中戦後のモノのない時代はそれでよかったのですが、現代は状況が一変しています。
私たちはモノがないことではなく、モノがありすぎて窒息しそうになっています。
人のための住まいが、モノのための住まいになり果てているのに、モノが大きな顔して居座る中、住人は小さくなって暮らしているのに、…それでもまだ私たちは捨てることが悪いことのように感じます。
『捨てる』ことは、ある意味、技術です。
技術である以上、学び、そして練習しなければなりません。
まずは心理的負担の少ないモノから捨ててみて、少しずつ捨てることへの耐性を養います。
つまりトレーニングですね。
簡単なモノとはどんなモノ?
捨てても心がさほど痛まない、つまり貴方とはとっくに縁が切れていて、どうでもいいモノから始めましょう。
大丈夫、家の中には、どうでもいいゴミ・ガラクタがいっぱいありますから。
たとえば、コンビニでもらったプラのスプーンや割りばし、食品についてきたカラシの小袋、3年前にもらったままの化粧品サンプル、期日がとっくに過ぎているクーポン券、プリンのプラカップ、冷凍庫の半分を占拠している保冷剤等々…。
捨てたところで、1時間後には忘れてしまうようなモノを、なにか1個手放す所からスタートです。
ね、これくらいなら辛くないし、罪悪感に苛まれることもないでしょ?
そんな気楽な感じでいいんですよ。
画像は使わないスティックシュガーの山。白い砂糖は使いたくないのに、ずっと置いてありました。(10年くらい前)