ピアノのとの関わりを綴っています。
アメリカのカレッジで、ピアノの勉強をしようと決めてからが、さあ、大変。
12年生、つまり高3まで、受験対策のレッスンはしていません。
ただただ楽しく、遊ぶように弾いていただけです。
そこから日本人の先生につきました。
「バッハのインベンションもやってないの?え、まさかツェルニーも?」
びっくりした先生は、大慌てでレッスンプランを組んでくれました。
でも・・・(o^^o)
アメリカの大学は、日本と違って、入るのはさほど大変ではありません。
(アイビーリーグやハーバードやMITなど、トップ校は別ですよ。)
大きく門戸を開いて入学希望者を受け入れ、4年間みっちりたっぷり勉強させ、限りなく高く設定した卒業のハードルを越えさせます。
勉強するために行くのですもの、当然です。
だから日本の音大を受験するほどの技術は、実は必要とされていません。
でもそんなことは知らない私と先生は、1年間、必死でレッスンを重ねました。
神戸でSAT試験も受けました。
SATとは、アメリカの大学進学適正試験、まあ、センター試験みたいなものです。
でも課目は、英語と数学ともうひとつくらい・・・。
英語はネイティブたちと比べたら低レベルでしたが、数学はノーミスで、スコアを稼ぎました。
心配する先生を残して、1982年9月に渡米。(新学期は9月から)
キリスト教系のカレッジに入学。
学校併設の寮に入り、Music Majorの生徒となりました。
行ってみて驚きました。
ピアノ科の同級生で、バッハのインベンションを全曲制覇していたのは、私だけでした。
しかも一音をずっと押さえながら、他の音をいくつも重ねていくインベンションで、ペダルも使わずに、音を途切れさせない、ジャパニーズ、アメイジング!・・・と評判に。
ピアノ科なのに、ピアノ歴1年という生徒や、楽譜が読めず、すべて耳で聴き取って弾く生徒、事故で腕が曲がってしまったのに、誰よりも上手な生徒と、なんだかアメリカの自由さと鷹揚さに、感動しました。
ほとんどの生徒は、自分の学費を自分でまかないます。
そのため、授業は朝7時半から12時半までに3~4コマ。
それ以降はバイトの時間です。
学生ビザなので、私はバイトはできません。
学費を出してくれた母に感謝しながら、昼食後は夕食までピアノ室にこもりました。
そして夕食後は図書館に直行して、学科の宿題。
アメリカの大学は、とにかく宿題が多くて閉口しました。
私が一番嫌いだったのは、明日までに300ページ読んでこい・・・という類。
徹夜しても無理・・・。
当時の睡眠時間は3時間ほどで、金曜日の最後のクラスが終わると、気絶するように寝ていました。(若かった・・・)
(ピアノアレンジの天才、エイドリアン先生)
音楽科の生徒は、Choirの参加が義務づけられます。
つまり聖歌隊ですね。
アメリカの教会音楽は、本当にゴージャスで素晴らしく、教会によっては自前のオーケストラまで持っています。
教会には、ピアノとオルガンが両方あり、別々の奏者が同時に奏でます。
高い天井に響くピアノとオルガンの音色は、美しいの一言に尽きます。
そして信じられないくらいバラエティ豊かな楽曲。
日本の教会では、聖歌と賛美歌、あと青年向けの歌集があるくらいでしたが、合唱曲、ブラス用の曲、オーケストラ曲、ピアノ曲、オルガン曲、ソロ用、デュエット用、カルテット用、ジャンルも荘厳なグレゴリオ聖歌風のものから、ポップなもので、よりどりみどりでした。
Choir用の楽曲もたくさんあって、4年の間に震えるような音楽体験を何度もさせてもらいました。
人間の身体が楽器になる・・・。
100人ほどの声がぴたっと一致した時のあの恍惚感といったら!
このChoirは、バスに乗って、あちこちへ演奏旅行に行きました。
なんとジョージ・ブッシュの応援で、共和党大会の大会場で歌ったことまであります。
声楽科の生徒と一緒に、ピアノリサイタルもしました。
4年生で教会のピアノ奏者に抜擢されます。
大会堂の立派なグランドピアノで、500人ほどの信者さんのために伴奏をし、ソロを弾きました。
まさに音楽漬けの4年間。
とても楽しかった。
・・・だけど、ピアノは今ひとつ。
なんというか、プロになるレベルには達しませんでした。
to be continued…