ピアノを手放すにあたって、ピアノとの関わりを振り返っています。
帰国してからの私は、ピアノを弾かなくなりました。
職場の同僚と連弾するため、クリスマスソングのアレンジをしてみたこともありますが、変イ長調(♭4つ)にしてしまったため、一目で興醒めされたり。(^^ゞ
(黒鍵4つは意外と弾きやすい)
やがて結婚。最初の住居は敦賀市でした。
当然ピアノは、実家に置き去りにしました。
その後1年半、アメリカに赴任。
渡米した時は2人でしたが、帰国時は3人になっていました。
帰国後、第二子も生まれます。
金沢の3LDKに住んでいましたが、家事・育児に追われ、ピアノとは全く縁のない生活。
ですが実家の母は、置き去りにされたピアノが邪魔だったようです。
かなり場所を取りますからね・・・。
ある日、マンションに突然、ピアノが送られてきました。
なんの事前相談もなく、ものすごく驚きましたが、業者の人を待たせるもの悪いと思い、リビングに入れてもらいました。
当時私たちが住んでいたマンションは、ファミリー向けとはいえ、かなり狭く、LDKが11畳ほどしかありません。
すでにダイニングテーブル、食器棚、テレビ台、二人掛けソファがあるそんな空間に、無理矢理ピアノを入れたのです。
まだ断捨離とも出会っておらず、部屋はモノであふれ、子どものおもちゃも散らばって、足の踏み場もない状態。
場所塞ぎなピアノが恨めしかった・・・。
ある日、夫がアメリカでお世話になった教授が、金沢の学会に来られたので、我が家にお招きしました。
ミネソタにある教授のご自宅のガーデンパーティに伺ったことがありますが、我が家のLDKはそのお家の洗面所くらいの広さです。
ニコニコしておられましたが、きっと教授も内心びっくりされていたのではないかと思います。
その後一軒家を購入。
今度はピアノも一緒にお引っ越しです。
以来25年間、ピアノはずっとリビングの一画にありました。
重いのでもう動かしようもなく、重厚な備え付けの家具のように、存在感を放ちまくりでした
娘が小学生になってから、ヤマハの音楽教室に通い出し、ピアノは再び、日の目を見ます。
歌ったり、リズムを取ったり、手を叩いたり、踊ったり、連弾したり、それは楽しそうなレッスンでした。
連弾の相手は、私もウキウキしました。
それも小学6年生までのこと。
中学入学と同時に部活が始まり、彼女のピアノ人生も幕を下ろします。
最後の発表会は、カルメン歌曲のハバネラ(ビゼー作曲)でした。
そしてまた、私のピアノは、置物に徹する日々に突入します。
たま~~~に蓋を開けて弾いてみても、ずっと練習をしていないので、ろくに指が動かず、かといって昔の勘を取り戻すほど弾き込む気力もありません。
埃をかぶって、上にモノが置かれたり、時には仏壇代わりなったり、受難の時代です。
そして出会う断捨離という哲学。
過去にも未来にも執着せず、ただひたすらに今・ここを大切にする在り方。
様々なモノと向き合い手放すうちに、ピアノはどうなの?・・・と夫に言われ、自分でも気にし始めます。
・・・とうことで、ピアノの断捨離をめぐって①に戻ります。
でもあれだけの関わりがあり、相当の情熱を傾けた楽器だけに、コンビニスプーンのように、ほいほい手放すことはできません。
手放す、手放さない?何度も何度も逡巡して・・・。
迷って決められないのなら、一度、気が済むまで弾き込んで、自分が何を感じるかみてみよう・・・と思いました。
ショパンのノクターンとモーツァルトのピアノソナタとアンドレ・ギャニオンのめぐり逢い。
さび付いた指と感覚で、この3曲を練習してみました。
ある程度、形にはなりました。
時間を忘れてしまうことも確かにありましたが、・・・なんというか、もう終わったなという感覚が残りました。
終わったものとは潔くさよならするのが、断捨離流です。
なのに私は、それからさらに3年、引っ張ります。
それはまぎれもなく執着でした。
過去の栄光にしがみつこうとする執着であって、愛着ではありません。
あれだけ頑張った過去が、ピアノを手放すことで、なかったことになってしまうようで・・・。
本当はそんなことはなく、モノで証明しなくても、私がピアノに情熱を傾けた事実は消えません。
でも、ただただ怖くて、勇気がなくて、決断を先延ばしにしていただけ。
その先に、エイヤ!と踏み出して初めて、見える景色もあることを、散々説いてきたというのに。
自分のこととなると、なんと意気地のないことか。
(多分あと1回で完結します)